ジャニオタとして生きた2017年

去年2016年10月のハロウィン音楽祭を見たとき、私はA.B.C-Zにハマった。

そうしてなんやかんやあり、彼らのファンとなって2度目の年越しを迎える前に、今一度「私とA.B.C-Zの関係」「彼らとの付き合い方」について書き起こしておこうと思い立ち、久々にはてなブログを起動した次第です。

まず前置きとして、私は塚田担であることを言っておきます。
冒頭で書いたように、2016年ハロウィン音楽祭にて圧倒的ダンスパフォーマンスを目の当たりにしてから一気にハマっていった。気付いたらファンクラブに入会してました。
さらに、好きになった時期がReboot!!!発売、サクラパパオー舞台、ファースト写真集発売、コンサート先行チケ発、と次から次へと何かしらの発表があり、雑誌は月にたくさん出る、少クラにも出る、ラジオはあるしで、供給には事欠かず、見事私はジャニオタ道へと足を踏み入れることとなりました。この頃のTwitterは主に「塚田ーーーー!!」(※1)と叫んでばかりいた記憶がある。

正直驚いている。何かにのめり込むのは久々であり、その速度が物凄かったからだ。

これまで何かを好きになったときにお金を使うことは稀であり、誰かのファンになっても情報入手に命をかけ番組を必ずチェックしたりするタイプではなかった。食や服、交友以外でお金を使うといえば、ライブに行くくらいのもので、それだってあまり値段が高いものには行かなかった。

そんな私が、ジャニーズに。
いや、もともと慣れ親しんだ土壌ではあったからそこに驚きはなかった。コンテンツというよりも自分のファンとしての在り方に驚いたのだ。

最初はただただ楽しかった。
いろんな人にA.B.C-Zを知って欲しくてTwitterのリア垢で思いの丈を叫び(※1)画像をRTしまくった。CDや紙媒体はとにかく手元に欲しいし出来ればたくさん欲しいし友人に配ってまわりたいほどだった。番組に出ると知れば嬉しくて必ず見たし、公式サイトは頻繁にチェックしていた。

その頃に比べて最近の私は大分落ち着いた。もう物凄く落ち着いた。
とりあえずTwitterはジャニーズ専用垢を作った。CDはとりあえず買っているけど、紙媒体は毎月買わない、本当に欲しいときだけめちゃめちゃに思案してから買うようになった。番組も、見逃すものの方が多くなり、公式サイトは今日久々に見た。
だからといってA.B.C-Zがあの頃より好きじゃなくなった、というわけでは断じてない。

好きと言いつつ自分から積極的に対象に向けて働きかけることが少ないのは、私という人間は一つのことにかける熱量という面において一般的なオタクに比べて劣るからだと、これまではそう解釈してきた。そういう面も確かにある。しかし今回のA.B.C-Zに関しては少し違うと思うのだ。

彼らは私にとっての特別だったのだ。
塚ちゃんは王子様だった。盲目的に特別だと信じることも王子様だと思うこともこれが初めてと言っていい。それほど大きな変化だったのです。彼らは。
それがね、段々特別じゃなくなってきたんです。当たり前になったんです。当たり前、という言葉はあまり好意的に捉えられないかもしれないけれど。
私が彼らのファンで、めちゃめちゃ好きで、ダンスや精神に心底惚れていて、彼らを見ると全てどうでもよくなるくらい楽しく嬉しく幸せになること。羅列してみれば、やっぱりA.B.C-Zは私にとってかけがえのないアイドルで特別ではあるけれど、その愛と煌めきは日常生活に溶けこんでいる。

かけた時間が、使ったお金が、現場に通った数が、そのまま愛の大きだとは私は考えてないのです。そういう人もいると思うけどね。

2016年10月〜2017年9月あたりまでの盲目で熱烈なファンという在り方は、私がこれからもずっとA.B.C-Zを好きでいるための助走だったと今は感じている。鳥が空を滑らかに飛ぶためにばたばたと懸命に羽を動かすあれと似たようなもの。

いちばん好きなA.B.C-Zの曲はReboot!!!なんです。それはいちばん表面に熱をたぎらせ彼らにしかその放出先が向いていなかったあのときに何度も聞いた曲だから、私の中ではReboot!!!が大好きだということはそのままA.B.C-Zを好きだということになったから。

このまま茶の間の人に戻る宣言ではなくて、ファンとしての在り方を、彼ら主体ではなく自分主体に戻していきます、それが私の付き合い方です宣言です。

私は対象に対して積極的ではない、と述べたけれど、それは行動的なことだけでなく心的なことでも言えることで。「好き」はいつでも同じ形を保っているわけではなくて、さらに「好き」を受容する自分自身の形も変わり続けているので、時期によって最もしっくりぴったりくるものが違う、救ってくれるものが違う、わけなんですよね。だからいつだって同じだけのエネルギーを向けることはできないし、だから熱烈な積極的行動タイプのファンの中に自分を置き続けることは時としてつらく、またそういう人たちを見ることで、私はファンとして間違っているんじゃないか?本当に好きって果たして言えるんだろうか?という思いに駆られてまたつらくなるわけで。

人と人との関係の在り方は難しいです。
自分と自分の折り合いのつけ方も。

ジャニーズとファンの距離感、関係、見方。
ファンとファンとの距離感、感激、見方。
ジャニーズに限った話ではないけど、自分の価値観や人生観までもが反映する難しい問題だよなぁとずっと考えてきたことだったので、一度自分の考えをまとめたかったのです。

その考えを語るに適した対象としてA.B.C-Zを選んだのは、語るに足りるだけの濃い時間や様々な思いをジャニオタとしてのこの1年で体験したと思ったからです。


私はこれからも彼らが好きです。多分、ずっとLOVE。完全に。
好きになることで見えなくなるものも障壁もその他諸々もあるかもしれない、それでも彼らを好きと言い続けられるように、彼らのコンサートで一緒に笑えるように、ダンスパフォーマンスに何度も惚れ直せるように、彼らのかげがえのない時間をともに生きられるように、いつか栄光を手にする彼らをちゃんと見られるように。
これからも気持ちの良い付き合い方を模索していきたい。

A.B.C-Zを好きになれてよかった
塚ちゃんを好きになれてよかった
これが今年感じた全てです。
来年も再来年もそう思いたいというのが素直な今の気持ちです。おわります。




補足
会う人会う人に「ジャニーズすごいね笑」などと言われるようになりました。これもひとえにTwitterのおかげです。来年もジャニーズの人として認知されるよう生きたいと思います。
文章はちゃめちゃでしたが読んでいただきありがとうごさまいました。


サクラパパオー

5/16、サクラパパオー観劇しました。

初めての個人的な観劇、とにかくキャストの方々に圧倒されて頭がしばらくぼーっとしてました。まさにめくるめく夢の時間、塚ちゃんがそこにいた100分間。なんだかすごかった。


お話はおもしろかったし、演劇っておもしろいなって思いました。

ですが後半あたりからなんだかもやもやしてしまったので、それが一体なぜだったのか自分で可視化するためにもここに書くことにします。


思ったことをつらつら書くので、多分脈絡も起承転結もない読みにくい文章になるかと思います。


もやもやしてしまった要因としてまず挙げられるのは、田原くんの婚約者であるきょうこちゃんに、ある場面で感情移入してしまったことが挙げられるかなと。

婚約者の博打や浮気を知ってぷんすかして帰ってしまった(ように思われた)きょうこちゃん。そんな彼女を追うか、その場に居合わせた浮気相手の誘いに乗るか、田原くんは散々迷った挙句きょうこちゃんのことをただの友達だよ〜と行って浮気相手とお酒を飲みに行ってしまう、そのシーンで私はどうしようもなく悲しくなってしまって、危うく泣くところでした。

ありきたりな言い方ですが、やっぱり男の子ってそうだよね、みたいな。女の子が面倒の権化となると、男の子は女の子を手のひらからぽいっと捨てて自分は楽しいほうへと流れていく。定型化された物事を嫌う私ではありますが、やはり男の子ってこういうものだ、という烙印付けはなかなか取ることができません。これはとても個人的なことだとは思うのですが。


その後も田原くんはきょうこちゃんを忘れて競馬に夢中になります。が、最後、「…やになっちゃった?」ときょうこちゃんに甘えてくるのです。天然たらしが!これはもうクズのフルコース!って感じでした。


私は汲み取ることができなかったのですが、婚約者がいるくらいだから田原くんはただのクズではなくてきっと良いところがあるのかもしれません。でも舞台にいたのは紛れもなくクズ、ただのクズ。大事なことなので2回言いました。


私が競馬をしないから、かもしれませんが、サクラパパオーを中心に登場人物が1つになっていくラストのシーン、とてもとても異様なものに思えました。そういうように描かれているのかもしれないけれど。

まるで催眠術か魔法かでもかけられたようにうっとりと情熱に燃えた目でサクラパパオーを見つめるかのような人たち…


それは夢やロマンを追う人たちの姿にも重なるのかもなぁ、と。そういう人たちは、きっとはたから見れば現実を見ていないおかしな人たちで、だけど本人たちは本気なんです。


「冗談でこんなおかしなこと言えないよ!」「会社やめるかもしれないし、バンドやるかもしれないし」

めちゃめちゃ意訳ですけど田原くんにこんな台詞がありました。私やきょうこちゃんから見れば、もう全然、本当にバカ!としか言いようがないんだけど、田原くん本人は本気で競馬をやっていて、多分バンド(夢)への諦めきれない気持ちがあるのかもしれない。そんな気持ち、持て余した夢やロマンのせいで、田原くんはスリリングな一夜を経たり競馬場へと通っているのかもしれない。


ヘレンさんと一夜を過ごしたのもきょうこちゃんを愛してるのもどちらも本気で嘘じゃない。矛盾してるのにそれが真実なのである。

よくわからない。


深読みかもしれないけど、私がこの舞台から感じたのはなんだかそんなようなこと、矛盾しているような真実、夢とロマンにまつわる事柄、でした。

基本的に男と女、の目線で見てしまったけど、それは私がそういう人間だから仕方がないとしか言いようがない。ご了承いただきたい。


笑って泣けるストーリー確かにそうであったのかもしれない、純粋に舞台を楽しみ塚ちゃんを可愛いと思ったことも事実ではあるが、この舞台に感じた異様さともやもやも、また私の真実である。



書きながら思ったことをどんどん追加していったので本当にぐだぐだな文章となりましたが、ささやかながら、これを私のサクラパパオー考とさせていただきます。お粗末。